公開日 2020年04月30日
更新日 2020年04月30日
嚮義堂(きょうぎどう)が町重要文化財に指定されました!
玉村町教育委員会では、嚮義堂を町の重要文化財として指定しました。
嚮義堂は町にとって貴重な文化財であることから、玉村町文化財調査委員会の答申を受け令和2年1月23日に指定したものです。
今回の指定により、町内にある指定文化財の件数は、32件(国2件、県6件、町24件)となりました。(有形・無形・史跡含む)
名称
嚮義堂 1棟(明治43年〈1910〉)
なお、この建造物に関わるものとして 附(つけたり) 嚮義堂記 1基(文化6年〈1809〉) 、附 学堂発起帳(がくどうほっきちょう)1冊 (文化6年〈1809〉) も指定されました。
指定区分
町重要文化財(建造物)
管理者
嚮義堂世話人 (玉村町樋越)…嚮義堂・嚮義堂記
玉村町歴史資料館 (玉村町福島325)…学堂発起帳
指定の理由
嚮義堂は、上樋越村の教育施設として江戸時代の文化年間に伊勢崎藩領の郷校として始まり、明治5年(1872)の「学制」発布以降の大正時代末まで使用されました。特に、学校教育が普及する前の明治5年までは、民間人による庶民教育、それ以後は青年・成人教育の歴史を物語っています。また、上樋越地区のランドマークであり、地元住民の教育への熱意を示す貴重な建物という点に高い価値があります。現在の建物は明治時代に再建され、維持管理されてきたものです。
嚮義堂
伊勢崎藩政時代の郷校で、文化5年(1808)11月に設立され、明治5年(1872)に学制が制定されるまで、農閑期を利用して庶民に漢学が教授されました。校名は「義に嚮(むか)う」の意味で浦野 神村をはじめとする藩儒が交代で出講しました。
現在ある建物は郷校として使用された当時の建物ではありませんが、屋根瓦に「學」の文字が刻まれており、江戸時代の郷校の精神を現代に伝えています。
嚮義堂記
嚮義堂の建物前の庭の西側隅に建つ安山岩質の石碑です。年代は、文化6年(1809)の刻銘があります。
学堂発起帳(がくどうほっきちょう)
嚮義堂設立時、当時の上樋越村組頭であり、嚮義堂の初代頭取であった八木 丈右衛門の末裔の家に保管されていた嚮義堂設立の過程を詳細に記した貴重な文書です。
令和2年3月26日(木曜日)、玉村町教育委員会より嚮義堂世話人代表の方へ指定書を交付しました。