公開日 2016年02月17日
2016年2月
2月17日水曜日
こんにちは。おたまです。
たつながだよ。今年も2月11日に早春の三大祭りが行われたんだ。
稲荷神社獅子舞、すみつけ祭、春鍬祭の3つのお祭り会場はどこも大変賑わっていました!
稲荷神社獅子舞(上新田地区)
江戸時代元禄年間から続く祭りで、氏子の安泰と無病息災、悪魔払いを祈願して行われました。稲荷神社にて「剣の舞」を奉納。
すみつけ祭(上福島地区)
江戸時代元禄年間から伝わる祭りで、すみを付けてもらうと病気にかからないといわれています。
春鍬祭(樋越地区)
江戸時代寛政年間から続く祭りで、五穀豊穣を祈願して行われます。
神明宮の境内は紅梅が満開でした。
文化財係では三大祭りをめぐるバスツアーを実施し、「楽しかった」「伝統的なお祭りは素晴らしい」と参加者の皆さんに大変好評でした。
地元保存会の皆さん、大変お疲れ様でした!また来年を楽しみにしています。
2月5日木曜日
こんにちは、おたまです。
2月の広報たまむら「タイムスリップinたまむら」のコーナーでは昭和時代を紹介しました。
歴史資料館では3月13日(日曜日)まで昔の道具展を開催しているので、昭和期に活躍した道具が見られるわよ。子どもたちに特に人気なのが白黒テレビなんだけど、今回はそのテレビの普及について紹介するわね。
昭和25年(1950)にNHKが実験局で実験放送を開始し、翌26年に中継放送に成功、ついに28年2月1日東京地区で本放送を開始したの。同じ年の8月には民間放送テレビが放送を開始し、群馬県へはNHKと民放両方のテレビ電波が届く文字どおりのテレビ時代へ突入したわ。
玉村町でも28年の放送と同時にテレビを視聴する家があったけど、当初のテレビは高価格だったため、どの家庭でも備えられるというわけではなく、ごく限られた家のみだったの。
そこで旧玉村町地区では商業者の有志が、客集めとサービスのためテレビを設置し、芸能やスポーツなどの娯楽番組を、多少の観覧料をとって提供したことが何年か続いたわ。当時のテレビは白黒で、真空管使用のためキャビネットも大型で、価格は37インチで約75万円という高価だったそうよ。
そして視聴者は力道山のプロレスや甲子園の高校野球の実況放送を好み、この番組になるとテレビの前は一杯の人出となり、昼間は暗幕で明かりを遮断するから冷房のない暑さの中を汗びっしょりで見物していたといわれるわ。
30年代初めは家庭用品の中でも高嶺の花とみられていたテレビも、高度経済の成長期の波に乗り急速に増加し、特に32年頃よりテレビと電気洗濯機、電気冷蔵庫のセットを「三種の神器」にたとえた電化ブームで大幅に普及されたわ。35年9月にはカラーテレビの本放送が開始され、39年の東京オリンピックでカラーテレビが伸長し、42年末には白黒合わせて国内のテレビ受信契約は2000万台を突破したの。
46年には群馬テレビが放映され、地元の報道がさらに充実されるようになったわ。
—町誌下巻より
歴史資料館では、昭和40年代に使われていた白黒テレビを展示しているのでよかったら見に来てね。
次回はいよいよ最終回「平成編」をお送りします。