公開日 2015年10月20日
2015年10月
10月20日火曜日
こんにちは。おたまです。 たつながだよ。
開館20周年記念事業で、この夏当資料館のキャッチフレーズを募集していました。全国から270通の応募があったんです。こんなにたくさんの応募をいただけて、私たちも驚きました!
厳正なる審査の結果、採用作品が決まったよ。
最優秀賞(採用作品)
「ちょっとそこまで 古(いにしえ)探訪」 青木由里子さん(群馬県佐波郡玉村町)
ほかに、優秀賞としてこちらの2作品が選ばれました。
優秀賞
「玉村に生きる歴史と例幣使に逢える場所」 金田貞男さん(群馬県高崎市)
「知ろう!!学ぼう!!玉村の歴史」 小松優太さん(群馬県前橋市)
入賞者には、10月18日の玉村町文化センターまつりにおいて賞状と記念品を贈呈しました。
(左から、金田さん、青木さん、小松さん)
こちらが決定したキャッチフレーズの入った顔空きパネルとのれんです。
最優秀賞を受賞した青木さんのコメント
「このような素晴らしい賞をいただきとても嬉しく思います。おたまちゃんとたつながさまの広報の連載、楽しく読ませてもらっています。資料館に親しく足を運んでもらいたい、楽しく学べる場所であってほしいと思い考えました。このキャッチフレーズもおたまちゃんとたつながさまと一緒に皆さんに親しんでもらえたら幸せです。」
たくさんのご応募、本当にありがとうございました!
今後とも玉村町歴史資料館をよろしくお願いします。
10月7日水曜日
こんにちは。おたまです。
10月号の広報たまむらのタイムスリップのコーナーでは江戸時代編(1)をお送りしました。
今回は、戦国時代に荒れ地になってしまった玉村町の復興の様子を紹介するわね。
江戸に幕府が開かれた頃(慶長8年・1603)、100年も続いた戦乱によって玉村一帯は荒廃してしまい、中央部には荒涼とした原野が広がっていたわ。
慶長10年(1605)幕府の代官伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)は、荒地だった玉村を開発しようと用水路工事に着手するの。配下の江原源左衛門や和田与六郎の協力を得て、5年の歳月を経て前橋の天狗岩用水を玉村まで延長させる工事を無事に完成させたわ。
「代官堀」(滝川用水)と呼ばれるこの用水の完成によって、玉村の中央部に「新田」という新しい「村」が誕生し、忠次は農民を移住させて集落をつくることにしたの。
さらに、着工に際して工事の成功祈願をした角渕八幡宮を、新しい住民の心のよりどころにしようと現在の下新田の地に移したわ。新田村は、その後玉村八幡宮を境にして「上新田村」・「下新田村」の二つの村になったのよ。
これが追々成長して玉村宿と名乗りさらに発展していくことになるの。
なかなかイメージできないかもしれないけど、13あった日光例幣使道の宿場町のなかで玉村宿は1、2位を争う賑わいぶりだったのよ。
今では街並みはすっかり変わってしまったけど、街道の道幅約5メートルは今も昔と変わっていないので、この道で旅人の往来があったんだなぁと思いを馳せてみてね。
現在の日光例幣使道
次回は江戸時代編(2)です。お楽しみに!