公開日 2015年09月25日
2015年9月
9月25日金曜日
こんにちは。おたまです。
たつながだよ。
玉村町歴史資料館のキャッチフレーズ募集に際し、全国からたくさんの応募をいただきました!
誠にありがとうございます。
今後厳正なる審査を経て決定し、来月中旬にこちらのホームページにて発表する予定です。
発表まで今しばらくお待ちください。
9月10日木曜日
こんにちは。たつながだよ。
今月の広報たまむら「タイムスリップinたまむら」のコーナーは戦国時代が舞台だったね。
歴史のなかでも戦国時代と江戸時代幕末は人気が集まるんだよ。
さて、玉村町の戦国時代はというと、広報でも少し紹介したけど、上州(今の群馬県)は越後の上杉、小田原の北条、甲斐の武田と三大勢力に囲まれていて、玉村も紛争地帯だったんだ。
玉村町ではおなじみの軍配山古墳で采配を振るったといわれる滝川一益(たきがわかずます)もこの頃登場するよ。
軍配山古墳
滝川一益は織田信長の下で戦いの大将を務めた人物で、信長を支えた織田四天王の一人といわれているんだ。
天正10年3月、武田軍に勝利した一益は上州を治めるため厩橋城(まやばしじょう−今の前橋市)にいたんだけど、6月2日に本能寺の変で信長が殺されてしまうと、小田原の北条氏はチャンスとばかりに上州に攻め入ろうとするんだ。この戦いが戦国上州最大の戦いといわれる神流川合戦だよ。
合戦は天正10年6月18日~19日にかけて滝川勢と味方についた上野国衆数千、これに対して数万の北条方が戦ったんだ。
18日は先陣の北条氏邦軍(氏邦は小田原城主北条氏政の弟)と上野国衆が激突し一益側が勝利したよ。翌19日は北条氏直軍(氏直は北条氏政の子)と一益軍との本軍が激突し、北条方の圧倒的な勝利に終わったんだ。
2日間を通して戦死者は約3,760人といわれているよ。
壮絶な戦いだったのが予想できるね。
戦いに負けた一益は領国長島(今の三重県)に帰るんだけど、その後色々あって武士をやめ最後はお坊さんになったそうだよ。
ところで、戦国の玉村の地は災害や戦闘状態の影響で田畑の作業が途絶えていた時期もあり、玉村一帯は荒れ果てた野原になってしまったようだよ。それが江戸時代初めの新田開発へとつながっていくんだ。
ということで、次回は江戸時代編だよ。お楽しみに!