登録有形文化財

公開日 2018年06月05日

更新日 2021年06月02日

小泉の重田家住宅 (こいずみのしげたけじゅうたく)                                   主屋・穀蔵・西の蔵・東の蔵・外便所・井戸屋形・表門及び塀(しゅおく・こくぐら・にしのくら・ひがしのくら・そとべんじょ・いどやかた・おもてもんおよびへい)

 重田家は、江戸時代の中頃から代々医師を家業としていました。初代当主は、姫路城主のお抱え医を務めていたと言われています。当家の家伝薬は大変良く効くと言われ、地域の人々の間では「小泉重田家の門をくぐるだけで病気が治る」と言われた程でした。

 広い屋敷内には、主屋・穀蔵・西の蔵・東の蔵・外便所・井戸屋形・表門及び塀等があり、この7棟が有形文化財として登録されています。主屋は住まい兼診療所として造られ、桁行き8間、梁間5間の総2階建てと、この地方としてはかなり規模の大きい民家建築です。棟札に明治16年(1883)建築と記されており、建築当初より診療所として使用されていました。つくりは農家造りで、多間取り(6間取り)型の農家住宅を基本としたものですが、表側には立派な式台を構え、中に「ゲンカンノマ」を配するなど、当家の格式を示しています。

 これら一連の建物や屋敷構えは、貴重な地域の歴史的景観資源であるとともに、明治から昭和にかけてのこの地方の医家の暮らしを知ることが出来る、貴重な歴史的資源です。

 また、重田家は昭和2年の玉村町域で電話が開通した時の芝根村唯一の加入者で、次に芝根村役場が加入したのは昭和9年でした。

※小泉の重田家住宅は非公開。
小泉の重田家住宅
小泉の重田家住宅(主屋)

玉村八幡宮末社国魂神社 (たまむらはちまんぐうまっしゃくにたまじんじゃ)

 玉村八幡宮境内にある国魂神社社殿は、明治43年(1910)に当初、旧玉村尋常高等小学校の奉安殿として天皇陛下・皇后陛下の御真影と教育勅語を奉置するために建てられた建物です。戦後、GHQの指令で奉安殿は撤去されることになりましたが、地元の人たちは建物を玉村八幡宮に移築、保存することを決断し、昭和21年(1946)に現在地へ移築され、昭和45年(1970)から国魂神社として戦没者の御霊が祀られています。国魂神社は切妻造平入で、南面して建ち、正面1間、側面1間の規模で、内部背面側に扉付き内陣を設けています。屋根は銅板葺です。桁行は2.18m、梁間は左側面1.82m、延床面積 3.97 ㎡です。床下の基礎立ち上がり部(外部)はモルタル塗りとしますが、その内側は煉瓦積とします(なお、基礎の最下部は切石の布基礎とする)。軒は一軒半繁垂木とし、垂木と野地板部分は漆喰塗で覆います。外部は柱、梁、桁、壁面、扉、窓、妻飾等をトタン張り、内部外陣部は床、壁とも板張り、天井は格天井とします。
 当遺構は現在見ることはできませんが、当初棟に堅魚木、千木を載せ、破風の拝みに近い部分に鞭掛を付けていました。当建物は当初神社建築の造りを範とした建築でした。
 現在、玉村小学校には戦前、日米親善大使としてアメリカから贈られた青い目の人形の一つである「ルース」ちゃんが残されています。明治時代に建造された数少ない木造の奉安殿の遺構である国魂神社社殿は、「ルース」ちゃんと共に激動の歴史を今も伝える生き証人として重要な文化財であると言えます。

 国魂神社の写真

 

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